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瀬野川たんけん
2016.4.28.Thu.
瀬野川を楽しむ会便り
瀬野川を楽しむ会便り 4月27日 ストロベリーキャンドルが満開です!! 夕方から海田小学校の先生を瀬野川に案内した。 何でも今年一年間掛けて瀬野川を学ぶようだ!! 私の想いは瀬野川が広島県の学習モデル河川として認定され、生物多様性環境と治水、利水事業が協和できる ようになれば、子供達にも住民にも恩恵が多々あることを願うとそのために今できる事を今する!! 内容は4月28日に遠足で瀬野川河川敷を歩くため、「中村さんと行政との 取り組みや、 瀬野川への思いを聞きたいとのこと。」 このような事前調査は今まで無かった やっと、瀬野川保護活動も浸透してきたようだ。 先週の金曜日頃、先生からの電話 「27日は雨なので月曜日は無理ですか?」 「予報は予報で外れることもあるし、月曜日はheroheroで寝ています」 まー予報は外れることが多いと心の中で思っていた!!口には出さないが.... ホンで、27日午後4時15分頃、雨も止む 予報では強雨だが、レーダーを見ると完全に雨が止む!! なぜか瀬野川に関しては強運がある そこで直ぐに海田小学校に電話する 「斯く斯く然々!で00先生に連絡してください」 すると、事務の先生が「先ほど見かけたので直ぐに取り次ぎます」 ホンマ、ブチ愛想がええ 数年前は、「瀬野川を楽しむ会の中村です」と 言っても「はっ」と何度も「瀬野川を楽しむ会中村です」と言っていた 今では直ぐに通じるようになった!!yareyare 担当の先生と「雨も止み、これからなら案内できますよ」 「そーですか!!お願いします・「4時45分まで無理ですが47分には校門 に出ています!!」 ホンマ奇跡だ!! 午後4時47分に校門前で待ち合わせ 私も仕事があるが、瀬野川と子供達とのことは優先事項 お客様には理由を言って時間を空けてもらう 私のお店のお客さんは100%私の活動を理解してもらっている。 「マスターが瀬野川か!!ほんならエエよ」と日時も変更してくれる ありがたい!いつもいつもすみません。感謝感謝 校門前で私が待つと、絶対に不審者と通報されるはず。 通行する父兄から、「変なおじさんが校門前でurouroしていますよ!!」と なるべく待つ時間は少ないことがエエ 黒色のカッパを着て待つこと10分 「中村さん!!」と先生が出てきた その間、ジロジロ不審者を確認する視線をビシバシ受けてた。 まーこれが当たり前だな!!学校は安全第一 その後、くじ引きで特賞が当たったBridgestone自転車で先生と瀬野川に行く。 まずは NO1広島県の西部土木事務所にお願いして自然石で積み上げた保護区を説明 (、カジカ、ゴクラクハゼ、鰻とテナガエビがたくさん棲みついていますよ) NO2、ヌートリアの巣を説明(2000年頃は居なかったが、やっと棲めるよ うになったンよ)と説明 NO3、河川敷のWild Flower、ストロベリーキャンドルの花壇を説明(空気中の 窒素を土壌に貯めること) (これも許可を得て、クラーク国際記念高等学校、広島市立大学情報科吉田研 究室の皆さんや国際学院サッカー部50名)で造った NO4探索会場所を説明(今まで怪我人0です) NO5瀬野川シジミの説明(これがブチ美味)と説明。シジミを食べれば瀬野川 のすごさが味覚から理解できますよ NO6魚道の説明(数年前、企業協賛で畑賀川と瀬野川の合流地点に魚道整備) NO7中州の説明を(広島県との協議で生物多様性環境と治水事業との妥協点を 話し合って完成した) 今年の中州の土砂削除も無駄なく丁寧にしてもらった。 堆積した中州は綺麗に上層だけ取り除き、下層は残している。これなら攪拌も でき、流速も変わることが無い 最後に私がナンでこの活動を継続しているのか!!先生に伝えた。 日本は元々採取民族、農耕は弥生時代から始まり、やがて農地の奪い合いが始 まり戦が絶えなかった!! 縄文時代はドングリ、栗、キノコ、山菜などの採取がほとんどで、魚はブリ や、鮭、ボラを捕まえていた。 肉は海獣が主とか? それほど日本は山に恵まれ、海と川の水に恵まれ食に困らなかったようだ!! 塩もこの時代には作られていたとか 縄文時代は戦が無く、約1万3500年間続いたとか? 大陸から農作が伝わり、やがて農耕が始まる弥生時代はわずか1200年 それでも、世界の文明の中で最長が日本 採取時代だけで生きていた、縄文時代とか? 日本の学者より外国の多くの学者達が縄文時代を研究している 当時は、温暖で広葉樹が広く分布していた。食べ物を拾い集めるだけで生き ていた。 食べ物が豊富にあれば戦は無いはず その後、戦乱時代が続き、江戸時代でやっと戦が無くなる それでも、江戸時代も約270年ほど そして現代生きている70才までの人が戦を経験していない。 それ以前の人は人生で1,2度は戦争を経験している。 私が子供の頃から思っていたのは、便利なところに、安全なところにたくさん 優位な人が住み 危険な場所に弱者が住む 古代、人は温かく食料が豊富な場所に住んでいたはず そして人が増え、食料を簡単に取れる場所に移り住む それが拡がり、宗教ができて国が造られてきた。 IF、食べ物が豊富にあれば戦は無いはず IF、自分の住んでいる場所の水が飲めなければ、奪い合うだろう IF、魚が食せ無ければ、奪いに来るだろう IF、住める土地が無くなれば戦になるだろう これは極端なことで極論だが、子供達にこんなこと伝えることはしない ただ、日本は本来、採取農耕を上手く取り入れてきた。 魚が住める水が大切で有、人が安全に生活できる治水利水が大切なことを 瀬野川で学んでほしいと先生に伝えた。 探索会、植栽など沢山のサポートで成り立っています。 協賛金!!ありがとうございます。 今年は探索会で使用する、手網、と海田花を咲かせ隊で使用する、種子の購入に 使用します。 広島県、海田町、クラーク国際記念高等学校、広島大学生物生産学部海野研究室、 広島市立大学情報科吉田研究室、国際学院サッカー部、東洋造園株式会社、 麒麟倉庫株式会社、有限会社渋谷塗装店、伏見建設株式会社、広島経営センター、 広島双葉ライオンズクラブ 公益信託サニクリーン広島環境美化基金、 広島銀行株式会社 鴻治組 洋伸建設梶@横山建設株式会社 |